2014年 08月 17日
『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』 |
ちょっと面白い本を読みました。
創成社刊 白土健 & 青井なつき 著
『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』
序文より、
ゲームセンターもプレイステーションも携帯電話もなかった昭和30年代、
子供の遊び場といえば、なぜか必ず土管の置いてある原っぱで (以下略)
そうでした。
都心でも、原っぱが、どこにでもあった時代でした。
そこに、私たちは、秘密基地を作り上げ、日が暮れるまで夢中で遊んだもんです。
今、子供たちには、原っぱなんてものは用意されてない。
あるのは、「安全な」屋内の遊びだけ。
横浜ドリームランド、向ヶ丘遊園、小山ゆうえんち、船橋ヘルスセンター、etc.etc......
昭和30年代の子供たちの(大人にも)、それは夢の国だった筈。
実は、私は、遊園地の記憶を殆ど持っていない。
両親が夜の仕事(バンド屋だよ)だったもので、昼間は寝てるわけですよ(笑)。
で、どこにも連れてってもらえなかった。
だから、昭和30,40年代の子供の、「ぜいたくツアー」の定番である、
デパートの大食堂でのお子様ランチや、屋上遊園地の観覧車なんてものは
縁がなかったんですねぇ。
珍しい子供だったと思う、当時としては。
今のように、小学生だけであちこちフラフラ遠征するような時代じゃなかったから、
親が行かないところへは、子供も行かれませんでした。
それでも不思議なもんで、そういうものに対する郷愁は、しっかりと持っている。
この本は、東京ディズニーランドが出来るまでの、首都圏の遊園地(レジャー施設)の
黄金時代と終焉とを、あますところなく描いています。
たっぷりと思い入れを込め、しかもどこか冷静に、データも写真も盛り沢山な良書です。
昭和30,40年代に子供だった皆様、是非ご一読を。
創成社刊 白土健 & 青井なつき 著
『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』
序文より、
ゲームセンターもプレイステーションも携帯電話もなかった昭和30年代、
子供の遊び場といえば、なぜか必ず土管の置いてある原っぱで (以下略)
そうでした。
都心でも、原っぱが、どこにでもあった時代でした。
そこに、私たちは、秘密基地を作り上げ、日が暮れるまで夢中で遊んだもんです。
今、子供たちには、原っぱなんてものは用意されてない。
あるのは、「安全な」屋内の遊びだけ。
横浜ドリームランド、向ヶ丘遊園、小山ゆうえんち、船橋ヘルスセンター、etc.etc......
昭和30年代の子供たちの(大人にも)、それは夢の国だった筈。
実は、私は、遊園地の記憶を殆ど持っていない。
両親が夜の仕事(バンド屋だよ)だったもので、昼間は寝てるわけですよ(笑)。
で、どこにも連れてってもらえなかった。
だから、昭和30,40年代の子供の、「ぜいたくツアー」の定番である、
デパートの大食堂でのお子様ランチや、屋上遊園地の観覧車なんてものは
縁がなかったんですねぇ。
珍しい子供だったと思う、当時としては。
今のように、小学生だけであちこちフラフラ遠征するような時代じゃなかったから、
親が行かないところへは、子供も行かれませんでした。
それでも不思議なもんで、そういうものに対する郷愁は、しっかりと持っている。
この本は、東京ディズニーランドが出来るまでの、首都圏の遊園地(レジャー施設)の
黄金時代と終焉とを、あますところなく描いています。
たっぷりと思い入れを込め、しかもどこか冷静に、データも写真も盛り沢山な良書です。
昭和30,40年代に子供だった皆様、是非ご一読を。
by robbie-the-great
| 2014-08-17 10:15